2008/09/05

フランシスコと二人の息子

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2007年04月03日
フランシスコと二人の息子 公式サイト

ブラジル音楽と言えば、サンバやボサノヴァ。けれど、この映画はブラジル版カントリーであるセルタネージョという音楽の物語。

映画は、お父さんであるフランシスコがラジオを受信しようと、屋根の上のアンテナをいじっているところから始まります。
見渡す限りの青くて広い空と埃っぽい畑に囲まれながら、家族は貧しいけれどものびのびと暮らしていて、唯一の情報元であるラジオからは、音楽があふれます。

息子たちをいつかプロのミュージシャンに、と願う父は、寝る前にラジオの前に子供たちを座らせて、ラジオから流れる流行の音楽に耳を傾けさせます。前半は、家族の団欒にラジオが欠かせなくて・・・
というより、半ば強制的にラジオの前に座らされている子供たちと、夜でもお隣に気にせず大きな音でラジオを聴いているシーンが印象的。お隣は、きっと相当離れた場所にあるのでしょう。

お祭りのときにハーモニカを買ってもらった長男は、音にもリズムにもならない「雑音」を奏でますが、やはり家族は父親の一存で「雑音」を受け入れますし、当の長男も次第に自分なりの音楽を奏で始めます。畑の作物と引き換えに息子たちへ買い渡された、アコーディオンとギターの場合もしかり。お隣がいないことをいいことに、父の歌と楽器の特訓が続きます。ここでの父の無謀とも見える?猛特訓と、広い広い空と畑に囲まれた自然が、息子たちの原風景となって後の彼らを支えます。

ついには地代が払えなくなり、長く住み慣れた土地を離れることになります。新しく移動した都会の街では、雨漏りはするもののなんと電気が通っていて、子供のようにランプを点けたり消したりして喜ぶお父さんと、つられて笑う子供たち。都会では当たり前のことが彼らにとっては、微笑みの種になっています。

都会の慣れない仕事でなかなか稼げない父と、途方にくれる母を見た息子たちは、バスステーションで歌うことを思いつきます。
このシーン、
映画としての音響効果が入っているとはいえ、屋根のある広い空間に響く彼らの歌は、広い空の下で聴くものとはまた違った感じに聴こえました。

こうして、二人の息子の歌はウワサを呼び・・・

旅周りの車窓から見える風景や、後半に出てくるサンパウロの夜景、暖かな両親の家の食卓、そして育った田舎の家。たくさんのブラジルの風景が流れていきます。


特徴的なのは、映画中セリフがほとんどなく、「アイコンタクト」で画面が続いていくこと。出演者たちみんな、特有の大きな目がくるくると動いてさまざまな表情を描いていきます。まさにtalking eye。うらやましいですね。ラテン系の人たちはおしゃべりなイメージがありますが、目にも口以上にモノを言わせる力が備わっているように思いました。


さて。
主人公である息子たち、ゼゼ・ヂ・カマルゴ&ルチアーノは、ブラジルで相当な人気のアーティストとのこと。映画で初めて聴きましたが、歌詞の内容がまた胸に響く内容で、思わず涙してしまう映画でした。

かの、カエターノ・ヴェローゾも映画の内容に感動して、音楽監修を買って出たとか。自ら彼らと新しく曲を作って歌っていました。エンドロールの数分も必見?必聴?です。

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