先日、士会へ行ったおり、ふと思い出して帰り道によってみました。
私にとって、国分寺と言えば、東京都国分寺市。
7年働いた場所でもあり。
でも、ここ群馬の上野(こうづけ)の国分寺も、実はちょっとしたご縁が。
大学院の研究室で調べものをしてたときに、上野国分寺跡の図面を見たことが。
それから、大学の名誉教授となられてる、故広瀬鎌二先生。
上野国分寺跡館(資料館)の設計をされた、ということで。
群馬の平野は、土地は痩せてたんですが、利根川の上流ということで、かなり昔から人が住んでたようで。
県内には大量に古墳があったり、発掘系には事欠かなかったりします。
で、国分寺は、聖武天皇の時期。
尼寺、も近くにあったそうですが、とっくに消滅。
現在、ゆっくりペースのようですが、発掘調査が進められているとのこと。
上野国分寺館の中に、七重の塔の1/20の復元模型が(by 大林組、だそうです)。
立面図、断面図とともに。
この塔が、現在も建っていたとしたら、維持費で1年に1億くらいかかるだろうと。
群馬は雷が多いので、65m近い塔はすぐに雷にやられてしまうのでは。風も強いし。
なのに、当時これだけの大きさの塔がこの地に建っていたということは、すごいことなんですよねぇと。
中にいた案内の方がおっしゃってました。
上野国分寺館の外観。写真へたっぴですね。笑
手前の芝生がうまく育たないようで、養生中ですって。
それから、当時ここが国分寺だった、という場所は、現在基礎だけ復元されています。
また、発掘調査を少しずつ進めていて、中門があった位置が、以前ここだろうと思っていた場所所とは違っていたことがわかってきているそうです。
どちらにしても、結構な建物が建ってたということで。
東京国分寺の境内よりは、かなり小さめであるとのことではありますが、いろいろと面白かったです。
0 件のコメント:
コメントを投稿